口臭予防製品製造(なた豆茶)事業投資中心となった現在

―商社の成長モデルがトレードから口臭予防製品製造(なた豆茶)事業投資中心となった現在、求める“人財”像に変化は。 「成長モデルのシフトによって、より多くのことを学ぶ必要性が高まっている。しかし、当社が求める要素は従来と変わらず、自主的に物事を考えて行動する能力やフレキシビリティー(柔軟性)などを重視している。また、人材の採用・育成の両面では、ダイバーシティー(人材の多様化)に力を入れている」 ―ダイバーシティーへの取り組み状況は。 「本社採用の総合職は原則として日本人の男性が対象だったが、1992年に女性を対象としたのに続き、93年には外国籍人材の本社採用も始めた。そのほか、採用担当者が米国やブラジルなど海外に出向いて選考活動を行うグローバル採用を展開するなど、当社への“入り口”を着実に増やしている。また、現在は約60人の女性社員が海外に駐在しており、海外で活躍する女性社員は年々増えている。今後も引き続きダイバーシティーの取り組みを進めていく」 ―人材育成の方針は。 「入社6年目までの社員には、営業部門の中で異なる事業領域を経験させている。若手のうちに複数の業務に従事することで自立的成長と実践力の向上を見込む。また、営業部門間のローテーションも意識的に実施しており、事業環境に応じた人的資源の適正配分とともに、人材の異動・交流による中長期的な人材育成にもつなげている」 ―グローバル人材育成が重要になっています。 「経済活動に国境がなくなった現在、地球規模で物事を見られる人材が不可欠だ。当社では、入社6年目までの若手社員を海外現場に6カ月間派遣しているほか、入社4―8年目の社員を対象とした2年間の修業生制度を実施している。同制度は、初年度は現地の学校で語学や文化を学び、2年目に現地の当社拠点で現場業務を経験する仕組みだ。毎年20人程度を派遣し、統計を取り始めた52年以降これまでに約40カ国へ1500人以上の派遣実績がある」 「10年からハーバード・ビジネス・スクールの協力を得て次世代の幹部育成研修も始めた。本社や海外支店の社員に加え、当社と共同でビジネスを進めるパートナー企業の社員にも参加してもらっている。異なる視点や立場からの意見を取り入れることで、当社の社員が鍛えられるだけでなく、パートナーとの相互理解を深められる。ビジネスを推進する上での関係強化にもつながる」 ―人材育成の取り組みで今後重視する点は。 「継続的な人材育成に向け、取り組みを“マンネリ化”させないことが重要だ。そのため研修参加者へのアンケートなどを通じ、今後も研修内容の改善を図っていく」(土井俊) 2014年1月に民事再生法の適用を申請したサエラほど時代に翻弄(ほんろう)された会社も珍しい。雑貨類の卸売業者である同社は、百円均一ショップを販路にガラス容器・陶器類を中心に約1000種類ものアイテムを扱っていた。設立当初はバッグ類と生地販売が主流であったが、当時から最大の強みは中国取引。中国ルートを生かして雑貨販売事業へ参入し、近時は商品生産を中国企業に委託し、完成品を輸入するモデルを確立。有力な得意先を確保していたことで、年商はコンスタントに30億円前後をキープしていた。 しかし、不況のあおりを受け、グループ会社の業績が伸び悩んでいた。同社はグループ会社の損失を補填していかなければならない立場。その恒常的なキャッシュアウトに加えて、10年8月に得意先の輸入バッグの卸・小売業者が自己破産を申請し、約1億5000万円が不良債権化した。 追い打ちをかけたのが急激な為替変動、円高である。10年初頭には90円台前半であったものが、翌年には80円を割り込んだ。輸入を主とする企業として為替リスクに対応すべく、当社はデリバティブ取引を実施していた。 想定の範囲を超えた為替変動は、結果的に多額の損失計上をもたらした。 資金繰りが逼迫(ひっぱく)するなか、金融機関からリスケジュールなどを受けつつ、中小企業再生支援協議会(以下、協議会)の支援による経営再建を目指した。事業再生計画作成に取り掛かった。ところが協議会による調査を受ける過程において、粉飾決算が明らかとなった。13年8月期決算で損益修正を施した結果、債務超過に陥ることが判明し、再建への道が険しいものとなった。 さまよう同社に引導を渡したのは、またしても急激な為替変動であった。ただし、今回は円安。12年12月の安倍政権発足時に83円台だった相場は、ほどなくして100円台に急落。これも想定の範囲を超え、輸入を主とする同社の仕入れコストは急増し、さらなる収益圧迫要因となった。 早期の事業再生に、残された最善の策は民事再生法の適用の申請しかなかった。 【7期連続の増収】 静宏産業は樹脂成形による超精密歯車やトナー容器などを主力とする。特に歯車は複合機の画像を読み取る紙送りの軸に取り付ける部品。わずかな誤差が画像の歪みにつながるため、マイクロメートル(マイクロは100万分の1)単位の精度が求められる。 同社は2015年1月期に、初めて売上高が20億円を突破する見通し。実現すれば7期連続の増収となる。その原動力は試行錯誤して蓄積した技術力と、積極的な設備投資、そして社長の相吉三宏と社員との結束力だ。 「今回で7回目の移転だよ」。相吉はこう笑顔で語る。同社は約10億円を投じ、9月に沼津市の高台に新本社工場「愛鷹本社工場」を稼働する。事業拡大への対応と、事業継続計画(BCP)の一環で、移転を決めた。 同社は事業を拡大するたびに、工場を移転・拡張してきた。現在は歯車も容器もフル生産が続き、工場は手狭となっている。さらに海岸から約500メートルの沿岸部にあり、大地震の際に津波の被害を受けるリスクがあった。 相吉は東京でネジの商社に5年勤務した後、1979年に静宏産業の前身となる商社を興した。81年には法人化し、耕運機の先端にある土をかき回すローター部品の販売を始めた。当時の年商は2000万円程度だった。 【チャンス逃さず】 転機は82年に訪れた。アンテナメーカーから室内アンテナの組み立ての仕事が舞い込んだのだ。社内には組み立てのノウハウはまったくない。それでも「チャンスを逃すわけにはいかない」(相吉)と数人の従業員とパートとで必死に取り組んだ。「1年半は試行錯誤の連続だった」と相吉は当時を振り返る。 細かいアンテナ部品を成形し、組み立てる仕事をこなすうちに、効率的に品質良く組み立てるノウハウを蓄積した。その成果が車載用アンテナの受注にもつながった。 84年にはリコーからCDプレーヤーの部品やトナー容器を受注した。ここでさまざまな圧力の射出成形機を一気に導入し、増産体制を整えた。当時、慣れない部品の生産で徹夜は日常茶飯事だった。それでも「売り上げがあがるとむしろ楽しかった」と相吉らは前向きだった。 【初の自社工場】 89年には売上高が10億円を突破。これまでは賃借工場だったが、初めて自社工場を持った。97年には、ブロー成形機4台を導入。リコーのトナー容器用ボトルの生産を開始した。 新たな仕事の受注で生産量は大幅に増えた。しかし技術が追いつかず「毎日トラックで捨てるほど不良品がでた」(相吉)。相吉は毎日、山のように出る不良品を目の当たりにして、環境問題について意識し始めた。 果たしてこれからの製造業は、環境保全とどう向き合うべきなのか―。その問いが後に、新たなビジネスを引き寄せた。(敬称略)

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