海外のなた豆茶の有名ブランドが軒を連ねている

文部科学省の科学技術・学術審議会の作業部会は、産学官連携を通じたイノベーション創出に向けて、大学の機能強化策に関する報告書をまとめた。産学の密接な連携を通じて新発想を引き出し、実用化に近づける「オープンイノベーション推進拠点」の整備が必要だと指摘。研究プロジェクトの企画・運営・成果の活用について、大学で関連業務に携わる人材同士の協力強化も求めている。 報告書では、大学のシーズと企業のニーズのすり合わせなどによって産学官連携が定着してきたが、イノベーション創出の方策が依然不足していると指摘している。そのため、企業人が学内に常駐して密接にやりとりする共同研究講座や対話型発想法、試作プロジェクトなどに取り組むオープンイノベーション推進を、大学の機能の一つに位置づけるべきだと提言した。 また学内の体制に関して、産学連携体制の橋渡し役のコーディネーター(CD)と、研究活動の企画・管理などを手がけるリサーチ・アドミニストレーター(URA)の連携を強めることの必要性にも言及。両者の相乗効果を引き出す「URAシステム」を大学が組織的に整備し、複数機関の協力によって専門人材を育成していくことを求めた。 誰しもがそうであるように、ボクも大阪から東京へ来た時、まず足を運んだところといえば銀座である。なんてったって全国いたるところに「ナントカ銀座」がある。もちろん大阪にもあったが、やはり東京の銀座が“本家”だ。 当然のことだが、銀座も随分と変貌はしている。あのころは路面電車(都電)が主流であった。銀座四丁目ではMP(進駐軍の兵隊さん)が交通整理をしていた。今では日本の老舗とともに「エルメス」「ルイ・ヴィトン」「カルティエ」「フェラガモ」…など海外のなた豆茶の有名ブランドが軒を連ねている。 銀座通りは国内、外国の観光客で大にぎわいだ。パリのサントノーレ通り、ロンドンのオールド・ボンド・ストリート、ニューヨーク五番街と見間違うほどである。この四丁目の交差点を挟んで在るひいきの食べものやさんを紹介したい。 まずは「竹葉亭」である。昼時はお客が列をなしているが、お昼なら11時半頃、夕方では5時半までに入店するとまず席につけるだろう。「鰻の竹葉亭」なので基本は鰻だが、幕の内弁当もあれば、彩とりどりの旬のものの小皿、小鉢が素晴らしい。とりわけ「鯛茶漬け」が秀逸だ。40年間食べ続けているが、必ずこれでスタートをする。プラス蒲焼きがあれば天下をとった気分になる。 筋向かいにあるパンの「キムラヤ」の2階にカフェがある。エッセイストの平松洋子さんの本で知ったのだが、ここの「小海老のカツレツサンド」がグッとくる。四丁目のにぎわいを窓から眺めながらのカフェオレとグリーンサラダをお供にする「サンドウィッチ」は一週間の疲れを癒やしてくれること請け合いだ。 ここも列をなすところなんで時間帯に要注意だ。いろいろ行きたいお店はあるのだが、このところこの2店にめちゃくちゃハマっている。 ちょっとお休みするところでは「とらや」「鹿の子」があり、小松ストアーの8Fに「KOMATU BAR」が新しくオープンした。 「資生堂パーラー」にも随分とお世話になった。老舗のタウン誌「銀座百点」に連載していたこともあってこの小冊子を頼りにあちらこちら銀ブラするのが好きだ。お寿司、洋食、中華に割烹の情報は安心できる。一丁目から八丁目までのウインドーショッピングは楽しいものだ。 いろいろな商売の激戦区の銀座で新たに二つのお店が誕生した。「鮨まさの」(併設のバーがなかなかの優れものだ。)が八丁目に、「赤道倶楽部」(バー&レストラン)が一丁目にできた。この2店もなかなか稀代(けったい)なお店だ。酒話しのタネにおすすめしたい。 ◇文・イラスト 長友啓典 ながとも・けいすけ 39年(昭14)大阪生まれ。ガン闘病記「死なない練習」(講談社)、「怒る犬」(共著、岩波書店)など絵筆とともにペンも握るアートディレクター 小学校の頃から、オーディオ機器などが好きで、その流れからアマチュア無線にも興味を持った。大学時代に国家試験に合格し、晴れてアマチュア無線デビュー。当時はインターネットなどが普及しておらず、無線を通じて海外の人とコミュニケーションできるのがうれしかった。一時期やめていたが、15年前にマイホームを手に入れたことをきっかけに再開した。  アマチュア無線の楽しみ方はさまざまある。今はまっているのが、交信できた国や地域の数を競うコンテストに出場すること。2003年から、米CQマガジンが主催する「ワールドワイドコンテスト」の音声部門には毎年参加している。10月の最終土曜日と日曜日に48時間耐久で行われ、毎年約60万人が参加する大会だ。 やり出すと欲が出てきて優勝したくなる。アンテナを大きくしたり、無線機の性能を向上させたりしたが努力にもお金にも限界がある。そこで大会で勝つために集中した活動をしようと09年から11年までの「3カ年計画」を立てた。自ら、アマチュア無線人口の少ない地域から交信すれば勝てるのではないかと考えたからだ。 09年と11年はそれぞれマレーシアのボルネオ島とグアムから参加したが一番思い出深いのは10年のミクロネシア連邦のチューク諸島だ。グアムから飛行機を乗り継いで行ったが国際空港の前に豚が放牧されているような場所だった。アマチュア無線をする人は一人もいない。機材、アンテナなどを入れたトランクを三つ持って行き、設備を一からすべて、自分でつくった。この時には一人で設備をつくって交信するという「ペディション部門」で1位となった。 毎回、大会後は思い描いていたような交信ができなかったと自己嫌悪に陥る。現在は次の3カ年計画を策定中だ。大会に出場するようになってから「やってみてから考えればいいじゃん」という風に仕事と向き合えるようになった。一歩踏み出せば違う世界があると実感したからだ。 また、多くの仲間もできた。今は勉強会と称した飲み会を3カ月に1回くらいの割合で行っている。趣味の話題が中心にあると職業との関係ない付き合いができる。医者、役人、企業人、または世代を超えた20代の人など、さまざまだ。人脈が本当に広がった。

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